禅宗寺 ブログ

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禅・禅宗寺 瞑想と覚醒から禅を考える


20170510

 

 

先日は鏡を凝視するタントラの3つ目の瞑想法についてお話しさせていただきました
今日はタントラの4つ目の瞑想法 エネルギーの流動についてお話しさせていただきます
タントラの瞑想法で使われる言葉に7つのチャクラと言う言葉が有名です
エネルギーそれは気のパワーでしょうか
その時々上昇させるか下降させるかの使い方が説明されます
瞑想法ですので上昇させ何かと一体に成る
事を目的にしているように思います
瞑想は自己の空け渡しの行ですから自然と一体になったり仏さまと一体に又神さまと一体になったりします
その時 気のパワーを7つのチャクラを通して上昇させる事を目的にします
日本へ伝えられた行としては立川法が有名です 性交の時 下降するエネルギーを まさにその瞬間 上昇に変える法を最高の極意としているようです
これらのタントラの瞑想法をしっかり理解し 何が正しくて何が間違っているのか
自分には何が合っているのか又自分は何を求めているのかをしっかり知る事が大事なので御座います

総合35回

禅・禅宗寺・瞑想と覚醒から禅を考える


20170417

 

 

先日は同じ言葉を繰り返す瞑想法に
ついてお話ししました
今日は3○物を凝視する瞑想法について
お話しさせていただきます
若い頃一度 鏡を凝視する瞑想をした事
があります 鏡に映る自分の顔に念を込
めると思った通りに自分の顔が変化する
という経験をした事があります
35年前歳をとった時の自分を見たいと
念を込め鏡を凝視しますと今の私の顔
になり 私の悪魔性を顔を見たいの念じ
ますと恐ろしい形相が現れました 又
私の仏心の部分を見たいと念ずれば
仏さまの顔が現れました
この時のことを考えてみますと仏教
真言宗の阿字観法に似ています
目の前の黒い掛け軸の中に白い月を書き
その中に梵字で阿の字を書き大日如来
一体に成ることを感じるという瞑想法に似ています 仏教は悟りに導きますがタントラの瞑想法は何を最終目的かが判りません
また 禅の生き方という点から考えますと
だいぶ 違うような気がします
いつも言いますように良い師匠に出会う
事が大事なのでございます

総合34回

禅・禅宗寺・瞑想と覚醒から禅を考える


禅・禅宗寺・瞑想と覚醒から禅を考える

 

先日はインドのタントラの感想法と日本の仏教の関係をお話ししました
今日はタントラの真言の瞑想法について
お話し致します
タントラの瞑想法には同じ言葉を繰り返し自分自身をトランス状態に導くという行があります 有名な真言は オーム、オームです又 ナーム・ナームを繰り返す瞑想法です
しかしオームは オーム真理教が出て事件を起こした事から良いイメージは無くなってしまいました 次のナームという真言はどうでしょうか ナームというタントラ瞑想法は日本に定着し すでに無くてはならないものになっています どういう事かと言えば
日本仏教の各宗派のご本尊さまの名前の頭にタントラのナーム瞑想法を付け
ナーム(南無)阿弥陀仏 これは浄土宗・浄土真宗念仏宗のお唱えの真言 日本国民にはナンマンダと形を変え定着しています
ナーム(南無)妙法蓮華経 これは日蓮宗のお唱えの真言 朝・昼・晩 唱えれば唱える程
御利益があると言われ行じています
ナーム(南無)釈迦牟尼仏 これは曹洞宗など禅宗です 念仏宗ではないので繰り返すことはありませんがご本尊さまの頭に付けています
ナーム(南無)大師遍照金剛 これは真言宗で繰り返し繰り返し唱え瞑想します
日本仏教はナームを尊い又偉大と訳し悟りに導きますが タントラの瞑想はトランス状態に導くものであり 危険を伴うので指導者が重要になります 良い師匠に出会う事が大事なのでございます

総合33回


禅・禅宗寺・瞑想と覚醒から禅を考える

禅・禅宗寺 ・禅を知る 瞑想と覚醒3


禅・禅宗寺 ・禅を知る 瞑想と覚醒3

 

先日インドのタントラの4つの瞑想法に
ついてお話ししました
今日はタントラが日本の仏教にどの
ように影響しているのか お話しさせ
ていただきます
昨日 感想法と名付けさせて頂きました
瞑想法は坐禅のポーズをして頭の中で
自分を生命の極限まで追い込んで行く
というものです 例えば水の中で呼吸が
出来なくなると想像したりして
ギリギリの瞬間の自分自身と向き合う
というものです
この瞑想法は頭の中だけですが
日本の仏教に於いては それを現実に
実践します 荒行がこれにあたると
思われます 寒中に水をかぶる 又
寒中に滝にうたれる 又 長年 歩き続ける
これらは ギリギリの瞬間の自分自身に
向き合うので瞑想実践法と名付ければ
良いで しょうか
日本では「加行」として尊ばれて居り
ます 仏教では悟りが目的ですが
タントラは 導く者が私達を何処へ
案内して下さるのか 最終目的が何なのか
判りません どの瞑想法をいつから
いつまで 又どの段階で止めてあげる
のかが判りません
良い師匠に出会う事が大事なので
ございます

禅宗寺・禅を知る 瞑想と覚醒2


禅宗寺・禅を知る 瞑想と覚醒

 

 

 

先日までは仏教における瞑想と覚醒から
禅を考えてみました
今日は日本の仏教以外の瞑想について
考えてみます 多くの人は 覚醒というと
覚醒剤を連想してしまう事から
瞑想という言葉を好み 又 不思議と魅力を
感じてしまいがちです
インドの瞑想法にタントラと言う瞑想法があるようです
仏教と違い宗派はないようですが
色々な瞑想法があるようです


1)心の感想法

2)真言の反復

3)物の凝視

4)エネルギーの流動の体感などです

 

私が これらを実践してわかった事は
最終目的を何処に設定するかという事です
例えば仏教では悟りです しかし
仏教以外の瞑想では 爽快感 静寂 快感
など導く者の最終目的によって
それぞれの人が何処に導かれるのかを
知るという事が大切で しっかり考えて
から瞑想を行うことが大事です

総合31回

禅宗寺・禅を知る 瞑想と覚醒


禅宗寺・禅を知る 瞑想と覚醒

 

先日は真言宗坐禅についてのお話し
を致しました その中で真言宗坐禅
は 瞑想法ですというお話しでしたので
今日は瞑想と覚醒の違いから禅を
考える 事に致します
私の所属している曹洞宗坐禅は覚醒です
臨済宗もどちらかというと覚醒です
しかし黄檗宗が念仏禅であるならば
瞑想になります
禅宗以外の天台宗は覚醒で真言宗
瞑想です
一口で言えば覚醒とは自分自身、
自己に目覚める事で
瞑想とは 大自然と一体になる 又
仏と一体になる事で 自分以外の
ものになる事 自己の開け渡しという事
になります
この様に覚醒と瞑想の違いをハッキリ
分けて考える事が大事なのでございます

総合30回

 

禅宗寺・禅を知る(15)禅宗3宗派以外の坐禅(3)


禅宗寺・禅を知る15禅宗3宗派以外の坐禅3

 

 

先日は顕教の おおもと 天台宗坐禅についてお話ししました
今日は密教の おおもと 真言宗についてお話しさせていただきます
天台宗の悟りの根本は摩訶止観(まかしかん)でした
さて真言宗の悟りの根本はどういうものなのでしょうか それは 阿字観(あじかん)であると言われています
昨日 真言宗大本山 高野山 金剛峰寺(こんごうぶじ)に電話して 坐禅の時壁に向かって坐るのか背にして坐るのか聴いてみましたら
答えは私の想像とは違う坐り方でした まず
坐禅という言葉は禅宗の言葉で 真言宗では
坐禅と言わずに「阿字観法」(あじかんほう)
と言うそうです さらに 壁に向かって坐るのではなく部屋のどこに坐っても 目の前に黒い掛け軸を実際に置いて坐ると言うのです
掛け軸の中心に白い月が描かれ その中に梵字(ぼんじ・インドの古代文字)が書いてあって「阿」の字が表す ご本尊 大日如来と向き合い一体感を感じる事を第一と考えていると教えて下さいました
また 坐禅と言わずに阿字観法と言うので
建物は 「阿字観道場と言うのだそうです
顕教とは まるで違う考え方 さすが密教という感じでした
全ての坐り方を知って自分の生き方に活かしていくことが大事です
総合29回